2024 .04.28
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2016 .06.29
「猫様の下僕日記」にも書きましたが、先日、愛猫のQ太郎を亡くしました。
で、その「猫様の下僕日記」を執筆してる最中、記憶を手繰りながら不思議な事に気付いたんですよ。
私、作中でQ太郎が死ぬ日が解ってたみたいになってます。というか、何となく“この二日間のうちにQ太郎は居なくなってしまう”という予感はしていたんです。
確かに瞳孔全開だったし、口呼吸していたし、“危ない”ってのは解っていたんですが、これ、自分でも不思議なんですよね。
勿論、安楽死などではなく(今となっては安楽死させてやった方がよかったかも……と、後悔していますが)自宅で看取ったわけですが。
* * *
亡くなるQ太郎の行動(外へ出て度々場所を変えながら寝転がる)
も、いわゆる
“猫は人に死ぬ所を見せない”って言葉を思い出したんですが、アレって土のある場所を探していたんじゃないかと……
“死んだら土に還る”というのが生き物の最期の本能なんでしょうね。
単に人に見られたくないだけなら、家の中でも隠れる場所は沢山ありましたから。
“死んだら、土に帰り、地球の一部になる”
なんだかそんな壮大な思想というか本能が人間以外の動物にはあるような気がします。
食物連鎖の頂点に立つものは、その体を土に還し、草木の養分にして、生えた草木を草食動物が食べ……※繰り返し
人間は、昔から
死んだらそのまま土に還るなんて事はしてませんでした。
焼いて骨壺の中に納められ、さらに墓石の下の石の囲いの中に安直される。
土に戻りたくても戻れません。
土葬の風習のある地域でも、必ず棺桶に納められてから埋葬されます。
古今東西、遺体をそのまま土に埋めるという風習のある国は無かったような気がします。
食物連鎖や自然の摂理からいつの間にか外れてしまった人間は、土に戻れないから、魂がさ迷ったり、化けて出たりするのかも……
……なんて思ったりしています。
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2016 .06.29