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昔は無茶苦茶美味しく感じたのに、今ではそうでもない食べ物があります。

最初に言っておきますが、製造業者さんや料理人の方々に喧嘩を売っている訳ではありません。
これらのプロの方々が常に美味を追求しているうちに、私の脳内に記憶されている“思い出の美味しさ”とかけ離れてしまった。と言うだけの事だと思います。

また、大人になって好きなものを買ったり作ったりしているうちに味覚が麻痺してきたとも考えられます。

【コロッケ】はそのもっとも顕著なものだと思います。

揚げたても勿論美味しいですが、私が好きだったのは、冷めて衣が若干しっとりして中身と馴染んでいるヤツです。
ソースなどかけずにそのままかぶり付つくのが良いんです。

実は、コロッケの原料や作り方を知ったのは小学生になってからだったので、初めて(でもないんでしょうが)食べた幼稚園児の頃はそれが茹でたシャガイモが主原料でしかも揚げてあるとは知るよしもありませんでした。

なんかこう……未知の材料を使い、選ばれし熟練の技を持った料理人が未知の技術で調理したもののように感じたんです。

なので随分とポピュラーな原料を良くある方法で調理した物と知った時、軽くショックを受けましたが、
そう言われて見ると中身はイモだし、周りのきつね色の物体は豚カツやメンチカツに付いてるパン粉です。
また
「イモに炒めた玉ねぎとひき肉を混ぜて丸めて揚げただけで、こんなに美味くなるなんて……!」
と、動揺を隠せなかったのも事実です。

しかし最近は、
美味しいと評判のコロッケを食しても子供の頃のような感動がありません。

味が違うんです。
子供の頃は肉屋さんで買っても、惣菜屋さんで買っても、スーパーで買っても(微妙に食感や塩みが違うとはいえ)同じ味でアタリハズレが無かったのに、
今のコロッケは昔の味がしないんです。

何故だろう……?と考えて色んな所でコロッケを購入し、食してみましたが、昔の味にたどり着く事は出来ませんでした。

しかし、

ある日、自分で作って食べてみて
その謎が解けました。

「あの味だ……!」

自分で作る訳ですから、何の小細工も無くシンプルに作ったので解ったのですが
昔のコロッケは
誰もがシンプルに作っていたからこそどこで買っても同じ味だったんです。
マッシュしたジャガイモに炒めた玉ねぎとひき肉。味付けは軽く塩胡椒だけ。

私の作った爆発後の手榴弾みたいな不細工なコロッケでさえあの味がしたんですから確かです。

今のコロッケは美味しさを追求する余り
余計な物が多過ぎるんです。
マヨネーズやチーズや複数のスパイス。果ては砂糖醤油の煮物風の味付けとか。
勿論、それらのものも美味しいとは思います。
試行錯誤の末に産み出した味です。不味いわけがありません。

でも

引き算の美味しさってのもあると思うんですよ。

私が単に昔を懐かしんでいるだけかもしれませんが。






―――――――――
イラスト

「サプライズギフト」
by 鮎川 了





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アートって程でも無いんですが、
先日起こった閃輝暗点があまりにもキレイだったので絵にして記録しておこうかと。

その前に
閃輝暗点とはなんぞや?
って話なんですが、

主に片頭痛の予兆として起こる視覚異常の一種です。

主に、ですからその他の要因で起こる事もあります。脳腫瘍、脳梗塞などの脳の疾患とか。
あと、ストレスや貧血など。

あまり頻繁に起こらなければ心配は要らないみたいですが、1ヶ月に何度も起こるようなら脳神経科で検査して貰ったほうが良い。と云う事です。


どんな風に見えるのかと云うとギザギザや三角形が多いようですね。
メタリックな銀色や、七色に乱反射するガラスの破片のような色と質感の幾何学模様が、機械の歯車のようにぐるぐる規則正しく動いているのが見えるんです。

私は注視点から外れた所に幾何学模様が出現したのでさほど困りはしなかったんですが、人によっては注視点と被ったり、視界一面に模様が現れて、仕事や学業、はては車の運転や機械の操作などに支障をきたす事もあるそうです。

そして、多くの場合、閃輝暗点が治まった後、酷い頭痛に襲われるので
キレイなどと云ってる場合では無いんですが、
何故、こんなにSFちっくなものが現れるのか不思議で。
別に視覚異常なら曲線とかアーメーバ状でもええないか。
何ならもっとファンタジックに妖精さんがパタパタ飛び回ってる様でもええやないか。

何故、閃輝暗点を経験した人か口を揃えて
「ギザギザと三角形が見えた」と云うのか。

ギザギザと三角形……

見るからに痛そうな図形ですよね。

これから起こる頭痛を可視化したらそういう形になるのかもしれない。
メタリックやガラスの質感も、頭痛をイメージ出来るし。

何か、未知のものが、“脳”という媒体を使って送って来たメッセージなのでは……?

……なーんて、考え過ぎですね(笑)



―――――――――

イラスト
「可視化された痛み」

by 鮎川 了



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活きた蟹を茹でるのがどうも苦手です。
いえ、上手く茹でられないとかそう言う話じゃなくて。

生きているものが死んで行く様子を見るのが物凄く嫌なんです。
あまつさえ、自分で生き物の命を奪うと云う事に物凄く罪悪感をもってしまう。

鍋のお湯が熱くなって、でも輪ゴムで脚を固定されているからもがく事も出来ず苦しんでいる蟹。

私がこういう死に方をしたらと思うと恐怖でいても立ってもいられない。

いちいち、自分の身に置き換えてしまうので尚更嫌なんです。

でも、蟹は大好きです。
魚も肉も大好きです。

予め死んでいる死体(って云い方もどうかと思うけど)なら罪悪感を持たずに済む。

しかし、食料となるものは元々生き物で、命を持って産まれてきた訳で
最初から死んで産まれて来る生き物など居ない。

どこのどなたか存じませんが、私の代わりに殺してくれてありがとう。

そう、スーパーで売っている茹で蟹や魚や牛や豚や鶏は

生きていたのを誰かが殺した死体なんです。

もし、私が原始人として産まれていたら、何も食べられずに死んでしまったろうなあ……



* * *



5才ぐらいの頃だったと思う。
田舎の祖父母の家に行ったら
祖父が
「ようし、了に鶏を食わせてやろう。婆さんに美味く焼いてもらおう」
と、張り切っていた。私も
「鶏モモ大好きー」なんて云いながら祖父の後を付いて行った。
大きなバケツに熱湯を入れたのを用意し、祖父は鶏小屋から大きくて立派な白い鶏を掴むと頭からバケツに沈めた。
「わー!おじいちゃん止めてーコッコさんがーコッコさんがあああー」
泣きながら抗議すると祖父は
「何いってるんだ?今まで了が美味い美味いって云って食ってた鶏はみんなこの小屋の鶏だぞ」と云う。
そうか、私が遊びに来る度、この小屋の鶏は犠牲になっていたのか。
鶏を殺した祖父よりも、それを今まで喜んで食べていた私が物凄く悪者のような気がして泣くのを止めた。
湯気の立ったバケツには鶏の白い羽が抜け落ちていて、祖父は新鮮な鶏肉を捌き始めた。


……この一件がトラウマになった訳では無いんでしょうが、何となく思い出してしまったので。


まあ、確かに面白がって(単なる遊びで)生き物の命を奪うサイコさんなどに比べたら、私の方が真人間に近いのだろう。と云う自負はあります。

しかし、度が過ぎてて、いささかキツくなる時も多々あります。





―――――――――――






イラスト

「ハシビロコウ来襲」

by 鮎川 了









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最近の素人さん投稿の恐怖動画やら心霊動画、何だかハッキリ写り過ぎてCGっぽさ全開で逆に怖く無いと思っているのは私だけでしょうか?

最初の頃はさすがに、ビビりましたが、
最後に必ず撮影が驚いて映像が乱れるなんて御約束があるみたいなんで、興醒めしてしまうと云うか……

昔の素人さん撮影&投稿の映像ってのは
見えそうで見えないとか
そう思って見ると見えなくもないとか
微妙な所が想像力を掻き立てられて余計怖かったんですよね。
画質が鮮明で無かったり、カメラワークが雑だったりするところも恐怖感を煽られました。

とは云え、何が怖くて何が怖く無いなんて人それぞれですんで何とも云えません。

精一杯怖がらせようとCG駆使して動画を作る、その製作者の心中の方が動画そのものよりよっぽど怖いなあ……なんて思っています。

やっぱり怖いのは生きている人間だな。
と、身も蓋も無いオチで失礼いたします。




――――――――
イラスト
「王女の首」

by 鮎川 了















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そりゃ、身の回りはスッキリしているに越した事はありません。
「いつか使うかも……」
なんて取っておいた物が、一年も二年も陽の目を見ることなく仕舞われていたり、それが一個か二個ならまだ良いけど、大量にあるんなら、それを保管しているスペースが勿体無い。

それに、自分が不慮の事故等で突然死んだら、(親族がやるにしても業者がやるにしても)遺品整理の人達がさぞや困るだろう。
と、云うか恥ずかしい。
「何だってこの人はこんな下らない物を溜め込んでたんだ?」なんて、思われるんだろう。

そう云った意味では断捨離も悪く無いと思うんですが、私個人が
捨てるべき物取っておくべき物の区別が苦手と云うのもあります。

今までの人生で数回程、“断捨離のつもりは無いが、結果的に断捨離になってしまった”事がありまして、
そう、区別を付けるのが苦手な私は、殆どの物を捨ててしまったんです。
中には(私の持ち物としては)かなり高価な物もありましたし、親の形見もありました。

後々、酷く後悔したのは云うまでもありませんが、捨てずに取っておいた少しばかりの物と云うのが

何の役にも立たず、何の思い出も思い入れもない只のゴミだったんです。

まあ日頃から大事な物は大切にして、そうでないものはとっとと捨てる癖を付けて置けば良いだけの話です。
テレビ等で「断捨離」の語句が出る度に苦い思い出が蘇って仕方がありません。




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イラスト
「見え無いものを見る眼」
by 鮎川 了







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鮎川 了
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