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活きた蟹を茹でるのがどうも苦手です。
いえ、上手く茹でられないとかそう言う話じゃなくて。

生きているものが死んで行く様子を見るのが物凄く嫌なんです。
あまつさえ、自分で生き物の命を奪うと云う事に物凄く罪悪感をもってしまう。

鍋のお湯が熱くなって、でも輪ゴムで脚を固定されているからもがく事も出来ず苦しんでいる蟹。

私がこういう死に方をしたらと思うと恐怖でいても立ってもいられない。

いちいち、自分の身に置き換えてしまうので尚更嫌なんです。

でも、蟹は大好きです。
魚も肉も大好きです。

予め死んでいる死体(って云い方もどうかと思うけど)なら罪悪感を持たずに済む。

しかし、食料となるものは元々生き物で、命を持って産まれてきた訳で
最初から死んで産まれて来る生き物など居ない。

どこのどなたか存じませんが、私の代わりに殺してくれてありがとう。

そう、スーパーで売っている茹で蟹や魚や牛や豚や鶏は

生きていたのを誰かが殺した死体なんです。

もし、私が原始人として産まれていたら、何も食べられずに死んでしまったろうなあ……



* * *



5才ぐらいの頃だったと思う。
田舎の祖父母の家に行ったら
祖父が
「ようし、了に鶏を食わせてやろう。婆さんに美味く焼いてもらおう」
と、張り切っていた。私も
「鶏モモ大好きー」なんて云いながら祖父の後を付いて行った。
大きなバケツに熱湯を入れたのを用意し、祖父は鶏小屋から大きくて立派な白い鶏を掴むと頭からバケツに沈めた。
「わー!おじいちゃん止めてーコッコさんがーコッコさんがあああー」
泣きながら抗議すると祖父は
「何いってるんだ?今まで了が美味い美味いって云って食ってた鶏はみんなこの小屋の鶏だぞ」と云う。
そうか、私が遊びに来る度、この小屋の鶏は犠牲になっていたのか。
鶏を殺した祖父よりも、それを今まで喜んで食べていた私が物凄く悪者のような気がして泣くのを止めた。
湯気の立ったバケツには鶏の白い羽が抜け落ちていて、祖父は新鮮な鶏肉を捌き始めた。


……この一件がトラウマになった訳では無いんでしょうが、何となく思い出してしまったので。


まあ、確かに面白がって(単なる遊びで)生き物の命を奪うサイコさんなどに比べたら、私の方が真人間に近いのだろう。と云う自負はあります。

しかし、度が過ぎてて、いささかキツくなる時も多々あります。





―――――――――――






イラスト

「ハシビロコウ来襲」

by 鮎川 了









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もしもマルテンがアスペルガー症候群だったら。とか。




久し振りにマンガ描いたんで、意味不になってもうた。




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最近の素人さん投稿の恐怖動画やら心霊動画、何だかハッキリ写り過ぎてCGっぽさ全開で逆に怖く無いと思っているのは私だけでしょうか?

最初の頃はさすがに、ビビりましたが、
最後に必ず撮影が驚いて映像が乱れるなんて御約束があるみたいなんで、興醒めしてしまうと云うか……

昔の素人さん撮影&投稿の映像ってのは
見えそうで見えないとか
そう思って見ると見えなくもないとか
微妙な所が想像力を掻き立てられて余計怖かったんですよね。
画質が鮮明で無かったり、カメラワークが雑だったりするところも恐怖感を煽られました。

とは云え、何が怖くて何が怖く無いなんて人それぞれですんで何とも云えません。

精一杯怖がらせようとCG駆使して動画を作る、その製作者の心中の方が動画そのものよりよっぽど怖いなあ……なんて思っています。

やっぱり怖いのは生きている人間だな。
と、身も蓋も無いオチで失礼いたします。




――――――――
イラスト
「王女の首」

by 鮎川 了















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そりゃ、身の回りはスッキリしているに越した事はありません。
「いつか使うかも……」
なんて取っておいた物が、一年も二年も陽の目を見ることなく仕舞われていたり、それが一個か二個ならまだ良いけど、大量にあるんなら、それを保管しているスペースが勿体無い。

それに、自分が不慮の事故等で突然死んだら、(親族がやるにしても業者がやるにしても)遺品整理の人達がさぞや困るだろう。
と、云うか恥ずかしい。
「何だってこの人はこんな下らない物を溜め込んでたんだ?」なんて、思われるんだろう。

そう云った意味では断捨離も悪く無いと思うんですが、私個人が
捨てるべき物取っておくべき物の区別が苦手と云うのもあります。

今までの人生で数回程、“断捨離のつもりは無いが、結果的に断捨離になってしまった”事がありまして、
そう、区別を付けるのが苦手な私は、殆どの物を捨ててしまったんです。
中には(私の持ち物としては)かなり高価な物もありましたし、親の形見もありました。

後々、酷く後悔したのは云うまでもありませんが、捨てずに取っておいた少しばかりの物と云うのが

何の役にも立たず、何の思い出も思い入れもない只のゴミだったんです。

まあ日頃から大事な物は大切にして、そうでないものはとっとと捨てる癖を付けて置けば良いだけの話です。
テレビ等で「断捨離」の語句が出る度に苦い思い出が蘇って仕方がありません。




―――――
イラスト
「見え無いものを見る眼」
by 鮎川 了







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「猫様の下僕日記」にも書きましたが、先日、愛猫のQ太郎を亡くしました。

で、その「猫様の下僕日記」を執筆してる最中、記憶を手繰りながら不思議な事に気付いたんですよ。

私、作中でQ太郎が死ぬ日が解ってたみたいになってます。というか、何となく“この二日間のうちにQ太郎は居なくなってしまう”という予感はしていたんです。

確かに瞳孔全開だったし、口呼吸していたし、“危ない”ってのは解っていたんですが、これ、自分でも不思議なんですよね。

勿論、安楽死などではなく(今となっては安楽死させてやった方がよかったかも……と、後悔していますが)自宅で看取ったわけですが。

* * *


亡くなるQ太郎の行動(外へ出て度々場所を変えながら寝転がる)
も、いわゆる
“猫は人に死ぬ所を見せない”って言葉を思い出したんですが、アレって土のある場所を探していたんじゃないかと……

“死んだら土に還る”というのが生き物の最期の本能なんでしょうね。

単に人に見られたくないだけなら、家の中でも隠れる場所は沢山ありましたから。

“死んだら、土に帰り、地球の一部になる”

なんだかそんな壮大な思想というか本能が人間以外の動物にはあるような気がします。

食物連鎖の頂点に立つものは、その体を土に還し、草木の養分にして、生えた草木を草食動物が食べ……※繰り返し

人間は、昔から
死んだらそのまま土に還るなんて事はしてませんでした。
焼いて骨壺の中に納められ、さらに墓石の下の石の囲いの中に安直される。
土に戻りたくても戻れません。
土葬の風習のある地域でも、必ず棺桶に納められてから埋葬されます。

古今東西、遺体をそのまま土に埋めるという風習のある国は無かったような気がします。

食物連鎖や自然の摂理からいつの間にか外れてしまった人間は、土に戻れないから、魂がさ迷ったり、化けて出たりするのかも……

……なんて思ったりしています。















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鮎川 了
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