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2024 .04.27
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 基本的に猫は“寒がりで暑がり”なのは解るが何処からが“寒い暑い”のボーダーラインなのか解らない時がある。

 酷暑の日々は寛ぐ時も日陰や風通しの良い場所を探してそこで寝ていた。
 熱を吸収する黒の毛色は只でさえ暑がりの猫には辛いのだろう。

 さて、やっと涼しくなって来た北国だが、それでも日中は夏の名残りか残暑のように暑くなる日も珍しくない。

 今日も折角の休みだと言うのにうっかりすると室内でも30度を越えてしまいそうな暑さである。

 家の掃除などしていると、熊吾郎が縁側で日向ぼっこをしてる事に気付いたが、あまりにも気持ち良さげに寝ているので邪魔をせぬように彼の周りは静かに箒で軽く掃ことにした。

 しかし、掃いている最中気が付いたのだが、日当たりの良いそこは結構な暑さである。

 こんな所で気持ち良く眠れるとは……私なら起きた時には熱中症になっているか、下手をしたらそのまま脱水症状であの世に旅立ってしまうかもしれない。

 もしかして、既に熱中症になって動けなくなっているのでは……とそっと近づいてみると「なんだようるさいなあ」と迷惑そうにしてたので大丈夫らしい。

 この時写真を撮ったのだが、先程の掃除で被ってしまったのか、よく見るとホコリまみれなのが残念。
 
 猫にとっては30度を下回りさえすれば“涼しい” 部類に入るのか。
 それとも今年の酷暑で感覚がマヒしたのか。
 来るべき冬に向けて出来るだけ多く蓄熱しているのか。

――――――
写真
「日向ぼっこを愉しむ熊吾郎」
もしくは
「ホコリまみれの熊吾郎」











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多分なんですが、
"死"に近い(と思われる)感覚を体験した事があります。

それは手術の際の麻酔。

「あー、なんか点滴の針から痛いの入って来た」

と思った途端、
手術室とは別の病室に飛んでいて

「あれ?手術は?」

と、混乱し、
丁度入って来た看護師さんが
「麻酔切れたみたいですね~」と言うまで状況を把握出来ませんでした。

つまり、麻酔で
"眠っていた"んではなく
"意識が無くなった"状態で

それまで私はこの二つの違いが分からなかったんですが

簡単に言うと

眠る→時間の感覚がある。
眠りの深さにもよるが、夢を見る等自我がある。

意識が無い→時間の感覚が無い。自我が無い。

なので、その間行われた手術の事も当然分かる訳は無いし、
「あー良く眠った」なんて感覚も無く
麻酔から覚めて意識が戻った時、まるで瞬間移動でもしたかのような感覚になったのだと思います。

よく、麻酔から覚めて
「変な夢を見た」「あの世に行って戻ってきた」「手術中の医者の会話を覚えている」なんて言ってる人がいますが、

何らかの理由で麻酔が中途半端にしか効かず"眠って"いるのと近い状態になっていたんでは……と。


手術する度、あの
麻酔が効いて一瞬ののちに暗転し瞬間移動する感覚が面白い。と思っていたんですが。

暗転したままの状態から戻れないのがなんだろうな
……

と、思っています。











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きっと、死ぬ直前に

「死にたくない」

と運命に抗うのが良い人生送った人で


「仕方がない」

と諦めて受け入れるのが悪い人生送った人なんだろう。










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基本的に
死ねば"無になる"と思っているので
死んだその後より死ぬ直前の状況が気になります。

そりゃまあ、死ぬ訳ですから多少は痛いだの苦しいだのはあるでしょう。

病気で死ぬのか
事故で死ぬのか
でも色々と変わってくるのでしょうが、病気や老衰で徐々に弱って来て死ぬと仮定して

死ぬ直前
やり残した事を悔いたり
大事な人に会いたがったり
自分のこれまでの人生をふりかえったり

するのだろうな、と思っていたんですが、実際には違うらしいです。

本当に死んだ人から聞いた話ではないのは勿論です。
家族や友人を亡くした方や数多くの臨終を看取った医者などが
「こういう事ではないのか?」と推測した話なのですが、死ぬ直前は


全ての執着が消えるらしいです。

つまり、
誰それに臨終を看取って欲しいだとか
死ぬ前にアレをやっておきたかったとか
せめて気に入った場所で死にたいだとか
自分の人生詰まらな過ぎて死んでも死にきれないだとか

そんな事がどうでも良くなる……と。

残念ながら私は親の死に目にも会えなかったので、死にゆく人がどんな感じなのか見たことがありません。
ただ、愛猫の最期を看取った時、まさにそんな感じだったので、その仮説は妙に納得出来ました。



最近、"死"について考える事が多いのは
私がそういう年頃だからなのか……死期が迫って来てるのか……










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昔は無茶苦茶美味しく感じたのに、今ではそうでもない食べ物があります。

最初に言っておきますが、製造業者さんや料理人の方々に喧嘩を売っている訳ではありません。
これらのプロの方々が常に美味を追求しているうちに、私の脳内に記憶されている“思い出の美味しさ”とかけ離れてしまった。と言うだけの事だと思います。

また、大人になって好きなものを買ったり作ったりしているうちに味覚が麻痺してきたとも考えられます。

【コロッケ】はそのもっとも顕著なものだと思います。

揚げたても勿論美味しいですが、私が好きだったのは、冷めて衣が若干しっとりして中身と馴染んでいるヤツです。
ソースなどかけずにそのままかぶり付つくのが良いんです。

実は、コロッケの原料や作り方を知ったのは小学生になってからだったので、初めて(でもないんでしょうが)食べた幼稚園児の頃はそれが茹でたシャガイモが主原料でしかも揚げてあるとは知るよしもありませんでした。

なんかこう……未知の材料を使い、選ばれし熟練の技を持った料理人が未知の技術で調理したもののように感じたんです。

なので随分とポピュラーな原料を良くある方法で調理した物と知った時、軽くショックを受けましたが、
そう言われて見ると中身はイモだし、周りのきつね色の物体は豚カツやメンチカツに付いてるパン粉です。
また
「イモに炒めた玉ねぎとひき肉を混ぜて丸めて揚げただけで、こんなに美味くなるなんて……!」
と、動揺を隠せなかったのも事実です。

しかし最近は、
美味しいと評判のコロッケを食しても子供の頃のような感動がありません。

味が違うんです。
子供の頃は肉屋さんで買っても、惣菜屋さんで買っても、スーパーで買っても(微妙に食感や塩みが違うとはいえ)同じ味でアタリハズレが無かったのに、
今のコロッケは昔の味がしないんです。

何故だろう……?と考えて色んな所でコロッケを購入し、食してみましたが、昔の味にたどり着く事は出来ませんでした。

しかし、

ある日、自分で作って食べてみて
その謎が解けました。

「あの味だ……!」

自分で作る訳ですから、何の小細工も無くシンプルに作ったので解ったのですが
昔のコロッケは
誰もがシンプルに作っていたからこそどこで買っても同じ味だったんです。
マッシュしたジャガイモに炒めた玉ねぎとひき肉。味付けは軽く塩胡椒だけ。

私の作った爆発後の手榴弾みたいな不細工なコロッケでさえあの味がしたんですから確かです。

今のコロッケは美味しさを追求する余り
余計な物が多過ぎるんです。
マヨネーズやチーズや複数のスパイス。果ては砂糖醤油の煮物風の味付けとか。
勿論、それらのものも美味しいとは思います。
試行錯誤の末に産み出した味です。不味いわけがありません。

でも

引き算の美味しさってのもあると思うんですよ。

私が単に昔を懐かしんでいるだけかもしれませんが。






―――――――――
イラスト

「サプライズギフト」
by 鮎川 了







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プロフィール
HN:
鮎川 了
性別:
非公開
自己紹介:
猫食堂
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