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2024 .05.05
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活きた蟹を茹でるのがどうも苦手です。
いえ、上手く茹でられないとかそう言う話じゃなくて。

生きているものが死んで行く様子を見るのが物凄く嫌なんです。
あまつさえ、自分で生き物の命を奪うと云う事に物凄く罪悪感をもってしまう。

鍋のお湯が熱くなって、でも輪ゴムで脚を固定されているからもがく事も出来ず苦しんでいる蟹。

私がこういう死に方をしたらと思うと恐怖でいても立ってもいられない。

いちいち、自分の身に置き換えてしまうので尚更嫌なんです。

でも、蟹は大好きです。
魚も肉も大好きです。

予め死んでいる死体(って云い方もどうかと思うけど)なら罪悪感を持たずに済む。

しかし、食料となるものは元々生き物で、命を持って産まれてきた訳で
最初から死んで産まれて来る生き物など居ない。

どこのどなたか存じませんが、私の代わりに殺してくれてありがとう。

そう、スーパーで売っている茹で蟹や魚や牛や豚や鶏は

生きていたのを誰かが殺した死体なんです。

もし、私が原始人として産まれていたら、何も食べられずに死んでしまったろうなあ……



* * *



5才ぐらいの頃だったと思う。
田舎の祖父母の家に行ったら
祖父が
「ようし、了に鶏を食わせてやろう。婆さんに美味く焼いてもらおう」
と、張り切っていた。私も
「鶏モモ大好きー」なんて云いながら祖父の後を付いて行った。
大きなバケツに熱湯を入れたのを用意し、祖父は鶏小屋から大きくて立派な白い鶏を掴むと頭からバケツに沈めた。
「わー!おじいちゃん止めてーコッコさんがーコッコさんがあああー」
泣きながら抗議すると祖父は
「何いってるんだ?今まで了が美味い美味いって云って食ってた鶏はみんなこの小屋の鶏だぞ」と云う。
そうか、私が遊びに来る度、この小屋の鶏は犠牲になっていたのか。
鶏を殺した祖父よりも、それを今まで喜んで食べていた私が物凄く悪者のような気がして泣くのを止めた。
湯気の立ったバケツには鶏の白い羽が抜け落ちていて、祖父は新鮮な鶏肉を捌き始めた。


……この一件がトラウマになった訳では無いんでしょうが、何となく思い出してしまったので。


まあ、確かに面白がって(単なる遊びで)生き物の命を奪うサイコさんなどに比べたら、私の方が真人間に近いのだろう。と云う自負はあります。

しかし、度が過ぎてて、いささかキツくなる時も多々あります。





―――――――――――






イラスト

「ハシビロコウ来襲」

by 鮎川 了











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